Chapter_III 東京医学校の教壇へ

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不忍池から望む外人教師館


日本での生活、そして教育者としてのスタート

来日したベルツは上野精養軒のホテルで過ごし、その後外人教師館に入居しました。ベルツはドイツを離れる際、3〜5年ほどを日本で過ごし、故郷へ戻ってから将来の仕事として政治と教育改革を考えており、それほど教育に熱心でした。
東京大学医学部の前身となる東京医学校に着任すると、病理学、生理学、薬物学、内科学、産婦人科学、精神医学などを担当しました。
またベルツは講義だけでなく自ら病理解剖を執刀し、高い評判を得ました。

 

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ハナ夫人


日本を愛したベルツ

1876年に来日したベルツは、1881年(明治14年)に日本人のハナ夫人と結婚。ハナ夫人の回顧によると、ベルツは日本の風景を愛し、また日本の医学生との交流にも熱心だったことが伺えます。
またベルツは日本美術の収集家としても知られています。江戸中期から幕末にかけての絵画3,000点以上をコレクションし、特に川鍋暁斎に早くから注目していました。絵画の他にも漆器・陶器・織物などを収集し、それら6,000点ほどの美術品は現在、シュツットガルトのリンデン美術館に収蔵されています。
そのように日本を愛しながら、医学教育にも熱心に取り組んで行くのでした。

 

 出典:『ベルツ博士と日本の医学』永井 良三著